Go For It ! 高木虎之介代表インタビュー
トッププロを目指すなら、
今いる場所で一番になること。
TAKAGI PLANNING 代表 高木 虎之介
父親がレーサーだったので、幼い頃からレーシングカーやカーレースが私にとって最も身近な存在でした。富士スピードウェイにも何度も行っていましたから、レース場で育ったような感じです。とにかく乗り物が大好きで、幼稚園からポケットバイクに乗って、清水にあるサーキット場を走っていました。タイヤがついているものにしか興味がない子でしたから、他のスポーツは一切やっていません。小学生の頃からF1レーサーになるのが目標で、それしか考えていませんでした。当時はユーチューブもありませんから、映像を見られるのは地上波のF1レースくらい。ちょうど中島悟選手がF1デビューした頃で、夜中の3時までテレビにかじりついていたのを覚えています。
カートレースを始めたのは12歳からです。今は4歳からできますが、当時は12歳にならないと乗れませんでした。当然レースをやると思っていたので、もう誕生日が待ち遠しくて。でも誕生日が過ぎても父親が何も言って来なかったんです。数カ月後、痺れを切らして「カートやりたいんだけど」と伝えると、「本当にやりたいのか?本気でやる気があるなら」と私を清水のカートショップ「杉山レーシング」に連れて行きました。すると、そこには自分用のカートが既に用意されていました。私が自分で言い出すまで待っていたんですね。中途半端な気持ちではやらせたくなかったのでしょう。
それからはカート一色でした。通っていた東豊田中学から帰ると店に自転車で直行し、週末はほぼ毎週のようにレース。当時は子どもでやる子はほとんどいなかったので、周りは大人ばかりでしたが、つま恋で開催された地方レースですぐに優勝できました。カートの全日本チャンピオンでもあるオーナーの杉山さんから教わったのが大きいと思います。中2から全日本の選手権に参戦し、レースを引退した父親と一緒に全国を転戦しました。東海大工業高校を選んだのは、店から5分と近く、レースで学校を休む必要があったので、そうした融通が利くためです。16歳の時に全日本のチャンピオン、17歳で一番上のカテゴリーでランキング2位に、世界選手権にも年に2回行っていました。とにかくレースが楽しくて、どうやって抜いてやろう、何十台と走る中で一番にゴールすることしか考えていませんでした。
私はレースで緊張したことが一度もありません。それは、4輪免許を取得して1か月後に参戦した最初のカーレースでも、世界最高峰のF1レースでも同じです。どうやったら一番速く走れるか。あったのは、それを極めるワクワク感だけでした。相手が大人であっても、世界トップレベルの選手であっても、レースでは常に優勝を目指していました。2位で喜んだことは一度もありません。最近は、幼稚園や小学校で順位を争わないケースが増えていますが、実社会やプロスポーツの世界では必ず勝負が分かれます。トッププロを目指すのであれば、今いる場所で一番にならなければ意味がないと思っています。今教えている子たちには「1位以外は、2位もビリも一緒」と伝えています。それ位の気持ちで臨まなければ、トッププロにはなれません。世界一速い男、世界一のサッカー選手、野球選手を目指すことが楽しくてしょうがない子が大人になって、その世界を極め、新たな常識を作るのだと思います。メジャーリーグの大谷選手の活躍を見ていると特に感じます。