夢を追え! 望月哲也 氏 インタビュー
「最後まで諦めなければ、何かが起こる」
静岡市役所 観光交流文化局
局長
望月 哲也 氏
努力を重ねて掴んだレギュラー。
人生を変えた決勝での同点弾。
サッカーのまち清水で生まれ育ち、小学4年から現在までサッカーを続けています。47年間のサッカー人生で一番の思い出は、高校3年時の選手権全国制覇です。私がいた清水東はサッカー名門校。1年時の総体全国優勝、選手権準優勝はスタンドから、2年生で登録選手になっても、先輩には反町さん(現:日本サッカー協会技術委員長)など県を代表する選手が揃い、出番はほとんどありませんでした。体も足もテクニックもない私が、試合に出てチームに貢献するには? 出した答えは、運動量で負けない、攻守の切替えを早く、得点に絡むこと。普段の練習から意識し続けた結果、3年生でレギュラーになりました。そして迎えた選手権県大会決勝。1対2ビハインドの試合終了直前、私がセンターサークル付近から放ったシュートで同点に、延長で大榎(現:清水エスパルス強化部長)が決勝ゴールを決め掴んだ全国切符。「最後まで諦めなければ何かが起こる」を実感した瞬間でした。輝かしい賞に縁のなかった私が、この大会でMVP、得点王、ベストイレブンを獲得。人生の大きな分岐点になりました。
失敗しても、挫折しても、
次の目標を見つけてほしい。
試合終了3秒前の40mシュートは奇跡のゴールと呼ばれました。でも、当時の勝澤監督は「普段の練習の成果、必然のゴール」と言われ、全国制覇後の活躍した選手の問いに「みんな頑張ったが一人名前を上げるなら、全国の舞台に連れて来てくれた望月哲也」と答えられました。あの時は本当に嬉しかったです。チームにはユース日本代表(現:U18)が4人もいて、私は目立つ存在ではありません。それでも、これだけは負けない武器を磨き続ければ主役になれる。高校時代に培ったコツコツ努力は、その後の人生にも大いに生きています。
大学卒業時には日本リーグのチームから誘いを受けましたが、当時はJリーグ発足前。仕事をしながらサッカーを続けるなら、地元に戻って清水に恩返ししようと、市役所に就職しました。30歳まで国体に出場、これまでも数多くの決勝点に絡み、今でも常に「自分が何かを起こせる」イメージを持ちながらプレーし、シニアチームでサッカーを楽しんでいます。スポーツでも勉強でも、失敗や挫折は必ずあります。でも、次の目標を立てて前に進めば、決してマイナスではありません。私は現在、静岡市の観光やスポーツを担当していますが、レギュラー獲得に苦労した高校時代を忘れず、交流人口拡大という今の目標に謙虚に向き合っています。サッカーも仕事も、最後まで諦めずに努力し続ければ何かが起こる、今でもそう信じています。
静岡市役所 観光交流文化局
局長
望月 哲也 氏
1964年生まれ。清水市(現:静岡市清水区)出身。57歳。小学4年生からサッカーを始め、清水東高3年時に全国高校サッカー選手権優勝。法政大学卒業後、清水市役所(現:静岡市役所)に就職。清水エスパルスへの派遣研修など、主にスポーツ振興や交流で経験を重ね、現在は観光交流文化局局長として、静岡市の交流人口拡大による地域経済の活性化のため、観光、国際交流、スポーツ、イベント、歴史・文化財など幅広い分野を統括する。
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