Go For It ! 神野 大地 選手インタビュー

なりたい自分に近づくために挑戦と努力はセット。

プロランナー 神野 大地 選手

3000m10分27秒。これが私が中学3年の地区大会で9位だった時のタイム、自己ベストでした。当時の中学3年生の全国トップクラスは8分台、高校から声を掛けられるのは9分台前半まで。県大会に一度も出場したことのない私が箱根駅伝を走り、将来プロランナーになるなんて誰も想像できなかったでしょう。私自身、夢にも思いませんでした。

私が陸上を始めたのは中学生からです。小学校6年間は地元の野球クラブに所属、週末は野球一色でした。中学ではクラブとの併用は認められず、野球に必要な基礎体力をつけるために入ったのが陸上部。月曜から金曜は陸上、土日は野球の毎日でした。野球は今一つでしたが、大会の度に自己ベストを更新する陸上がどんどん楽しくなりました。陸上が一番楽しいのは、自己ベストを出した時です。練習の努力が報われ、更に高い目標を目指します。私は最初が遅かった分、陸上の旨味を常に感じることができました。元々走るのは好きで、小学3年生の時にマラソン大会で1位になったこともあります。休み時間に校庭を走った周だけスタンプをもらえる10分間走でも、いつも全力で走っていました。辛いよりも楽しく、気持ち良かったのだと思います。それが今の自分につながっているのかもしれません。

最大の転機は、中京大中京高校への進学でした。中京高陸上部にいる中学の先輩から誘われて練習に参加した時、陸上部の監督から「君は絶対に速くなる。うちに来てほしい」と言われたのです。体重は33㎏の華奢な体で、地区大会止まりの私には耳を疑う言葉でしたが、迷わず「入ります」と答えました。両親は「あなたにスポーツ名門校は無理」と反対しましたが、諦めませんでした。3カ月間「中京に行きたい」と言い続け、「そこまで言うなら」と最後は背中を押してくれました。あの時、自分の意志を貫いていなければ、今の自分は絶対にありません。親の言うことを聞くことも大切ですが、最後は自分で決断することが重要です。そこから覚悟が生まれ、頑張ることができますから。

私の高校での目標は、3年生で5000mを14分台で走る事でしたが、2年生の人生初となる県大会で14分49秒を出し4位に。自分の実力が県レベルになり、この時初めてインターハイや箱根駅伝を意識しました。まさに人生を変えた瞬間です。高3でインターハイに出場しましたが、青山学院大の原監督から声を掛けられたのは2年生の時。全国経験のない私は、ここでも迷わず決断しました。駅伝強豪のコニカミノルタに進む決断は大学2年。「3代目山の神」となり青学が優勝したのが3年の時ですから、当時は雲の上の存在でした。

私の人生は挑戦と努力の繰り返しです。中学生の時に大きな挑戦を決断し経験したから、その後も臆せず、迷わずチャレンジできたのだと思います。仮に上手くいかなくても、それは失敗ではなく経験。そこから学び、整理して、次の目標に向かえばいい。私の好きな言葉は「努力は裏切らない」です。私は、挑戦だけ、努力だけでなく、挑戦と努力をセットにすることで、なりたい自分に近づけると信じています。プロランナーとなった今の目標はオリンピック出場です。思うような結果が出ず、壁に跳ね返されることも増えましたが、それを乗り越えた時、本当の一流、トップ・オブ・ザ・トップになれると信じて、努力を続けています。

プロは結果が一番ですが、それだけでなく、走ることの楽しさや価値を伝えられる人間でありたいと考えています。色々な活動に参加し、自分の力が何かを変えるきっかけになれたら嬉しいです。12月24日には、静岡市で行われる「駿府城公園活性化プロジェクト」Park&FITのイベントにゲスト出演します。みなさんと一緒に走りますので、走るのが苦手という方も是非ご参加いただき、ランニングの気持ち良さを分かち合いましょう。


プロランナー 神野 大地 選手

1993年生まれ。愛知県津島市出身。29歳。中学から陸上を始め、中京大中京高から青山学院大学に進学。大学3年生の時に箱根駅伝往路5区で区間新記録を樹立し、「3代目山の神」となる。実業団のコニカミノルタに進んだのち、2018年5月にプロ転向。2019年アジア選手権マラソン優勝。2021年4月から練習拠点を浜松市に移し、今年の防府読売マラソンで2時間9分34秒の自己ベストを樹立。目標は2024年パリ五輪出場。スポーツ解説者、YouTuberでもある。

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