Go For It ! 望月 将悟選手インタビュー
「立ち止まっていても何も解決しない。ゆっくりでもいいから歩み続けること。」
山岳ランナー 望月将悟 選手
1977年、静岡市葵区出身。井川中、静岡工業高校を卒業後、静岡市消防局で消防士・山岳救助隊員を兼務。『トランスジャパンアルプスレース(TJAR)※』では、2010年~2016年大会4連覇。2018年は無補給で完走。18㎏の重りを背負って走るフルマラソンでギネス記録を持つ。43歳。二児の父。
僕は井川出身なんですが、当時井川小学校は全校生徒30人で親も子供も地域みんなが知り合い。地域ぐるみで成長させてもらいました。小さい頃から走るのが好きで、小学校のマラソン大会ではいつも一番。父はそんな僕にもっと大きな世界に触れさせようと、あちこちのマラソン大会に連れていってくれました。井川では一番でも、僕よりもっと速い子たちがいて、負けると悔しくて悔しくて。負けず嫌いな子だったと思います、今はだいぶ緩んできましたけど。(笑)
井川中学に進学して野球部に入ったんですが、途中廃部になって卓球部へ。当時の井川中では、朝7時までに登校し、毎日山道を3キロ全校生徒で一斉に走るんです。しかも、タイムトライアル。兄を含めて3年生に負けるとこれがまた悔しくて。そこへ陸上経験者の小長谷先生が赴任されてきて、マンツーマンでインターバルとかペース走とか教えてもらいました。先生も一緒に走るのですが、僕はなんとか大人を負かしたい、先生は先生で負けじと走って。ライバルみたいでしたね。(笑)
高校卒業後は静岡市消防局に入局。先輩から国体の山岳競技(縦走)へ出てみたらって言われたのがきっかけでした。竜爪山で行われた県大会で2位に入賞。国体に出て、そこで出会った自衛官の方たちと練習するようになり、とても刺激になりました。強くなりたいと、ポリタンクに水を入れて背負って地元を走っていると、近所のおじさんや登山者の方から声援をもらったり、それがまたモチベーションになるんです。
それから山岳耐久レースに出始めて、いろいろな人に出会えたのも嬉しかったですね。優勝もしたりして、段々のめり込んでいきました。25歳のときにレスキュー隊から山岳救助隊に志願して異動してからは、南アルプスのいろいろな登山道を覚えたくて休みの日も山に入っていました。練習というより、探検という感じでしたね。
そんな中、お盆休みで井川に帰っていた時、ボロボロの身なりの人が杖をつきながら歩いてきたんです。それが僕とTJARとの出会いでした。30歳の時です。いろいろ調べているうちに、どこまで自分が通じるかやってみたいと思ったんです。何日間もかけていくつもの山を走り抜くことができれば仕事面でも自信につながると思いました。
32歳でこのTJARに挑戦して連続優勝させてもらいましたが、レース展開で後を追われることが多かったので、自然への恐怖よりもとにかく抜かれるのが怖かったですね。連覇という周りからのプレッシャーもきつかったです。負けたらみんな離れて行ってしまうんじゃないかとも思いました。でも何時間もかけて山を登って応援にきてくれた仲間から「順位なんか関係ない。無事に帰ってきてくれればそれでいいんだよ」と言われた時は本当に嬉しかった。子どもたちも、親の期待とかプレッシャーを感じることがあると思いますが、自分を成長させてくれるスパイスと考えてほしいですね。
僕は困難に直面しても、それを困難だと思ったことはあまりないんです。それを乗り越えたらきっといいことがある、こんな体験はできないぞ、今直面している状況の中でやれることをやればいいじゃないかって。このコロナ禍の下、大会が中止になったり、色々な制約があるかもしれません。でもこんなときだからこそ差がつくし、むしろ「チャンスだ!」って考えてほしいなと思います。
子どもたちに伝えたいことは、大きな目標を前にして動けなくなってしまったときは、その手前にある小さな目標を立てて、それを一つひとつ越えていけば、大きな目標に到達できるってことです。僕も、この山を越えたらまた次の山があるっていう感じで、これまで何百という山を走ってきました。山では立ち止まっているだけでは、何の解決にもならないんです。ゆっくり少しづつでもいいから歩み続けること。それが大切だと思います。
山を走ることは危険もありますが、体幹も強くなるし、集中力を養うこともできます。また、山の中ではみんなで助け合うことが大事です。遅い人を待ってあげたり、人を思いやる気持ちも自然と生まれてきます。野球やサッカーなどに取り組んでいる子どもたちも、トレーニングの一環でトレランを取り入れるのもいいかもしれませんね。ぜひ、井川(※)にもいらっしゃってください。
※井川自然の家には、望月将悟さんが監修したトレランコースがある。