夢を追え! 海野 洋平 氏 インタビュー
「『やればできる』。自分を信じて力を最大限に」
株式会社トゥースリー
代表取締役
海野 洋平 氏
中学3年間で学んだ
チームワークの大切さ。
兄の影響で年長からソフトボールを始めましたが、本気でやろうと思ったのは9歳の時。巨人対西武の日本シリーズ、優勝決定寸前に見た清原選手の涙でした。すごく感動して、優勝セールで初めて自分のグローブを買ってもらいました。当時は体が大きく、ピッチャーで4番、チームも強かったです。野球を始めたのは中学から。東海大一中(現・静岡翔洋中)の弓桁監督は選手一人一人としっかりコミュニケーションを取る方で、技術や考え方、色々なことを教わりました。その中でも一番の学びは、チームワークの大切さ。選手全員が自分の役割を認識し、上下関係なく何でも言い合える、監督と選手や父兄との信頼関係も厚い、本当にいいチームでした。入部当時は弱かったですが、2年生の時に全国ベスト8。自分の代は県止まりでしたが、1年後輩は中体連全国優勝しました。中学での経験は、働く環境を整えて社員一人一人の能力を高め、信頼関係を築いていく、今の会社のチーム作りにつながっています。
静高野球が教えてくれた
本気、挑戦、諦めない。
実は静岡高校野球部の伝統を知らず進学した私は、その厳しさとプレッシャーを入部してから知りました。そこで出会ったのが八木監督です。指導は厳しかったですが、その叱り方には愛がありました。私たちの力の限界を広げるための本気のノックに、全力プレーで応える。本気と本気がぶつかることで、信頼関係が生まれていきました。残念ながら甲子園には行けませんでしたが、諦めない気持ち、本気で挑戦することの大切さを高校3年間で学びました。中学、高校と、野球に本気で向き合う気持ちにさせてくれた2人の恩師には本当に感謝しています。この6年間の経験はとても大きな財産です。
私は「やればできる」という言葉が大好きです。心の持ち方ひとつで前向きな気持ちになり、結果も変わってきます。自分の力の限界は自分にはわからず、決める必要もありません。社会に出ると思い通りにいかないことがたくさんありますが、諦めずに挑戦し続けると、明るい光が見えてくるものです。甲子園を目指す、負けたら終わりの戦いは痺れます。これまで本気で頑張ってきた高校球児たちには、「やればできる」と自分を信じて、持っている力を最大限発揮してほしいと思います。
株式会社トゥースリー
代表取締役
海野 洋平 氏
1978年生まれ。静岡市駿河区出身。45歳。年長からソフトボールを始め、川原小学校から東海大第一中学(現・静岡翔洋中)に進学し野球部へ。静岡高校野球部ではキャプテンを務め、専修大学でも野球部に所属。大学卒業後、1年間の米国留学を経て、家業の株式会社トゥースリーに入社。建築物・構造物の解体設計施工を中心に現場で事業を推進し、2023年4月、同社代表取締役に就任。価値あるゼロの創出という「夢」と、環境を考えた未来づくりという「希望」を顧客に届ける。妻と2児の4人家族。