夢を追え! 鈴木 宏基 氏 インタビュー
「人生は“まずはやってみる”から変わる」
NPB日本野球機構 審判員
鈴木 宏基 氏
中学1年時の誤審がきっかけ。悔しさから独学で審判の勉強。
私がいた中学の野球部は部員が多く、試合に出られない1年生の時に「審判ならグラウンドに立てる」と立候補したのが始まりです。塁審を始めて間もない頃、私は相手チームに不利な誤審をしてしまい、監督から「相手に失礼だろ」と怒られ、それが悔しくて審判の技術の勉強を始めました。ネットで「野球 審判」を検索し、完全な独学でしたが、知れば知るほど興味が沸き、試合に出るようになっても自分が投げない試合は率先して塁審を務めました。高校でも積極的に審判を務め、試合に来る審判の話を聞きながら勉強を継続。遠征に同行し塁審を務めた時、県外の審判員さんに褒められ、試合に出ていない私がチームMVPに選ばれたのは嬉しかったですね。抗議された時の対応やルールの説明の的確さから信頼を得て、認められるとより楽しくなります。ピッチャーとしてはあまり期待されませんでしたから。大学進学後も地域の審判員に登録し、アマチュア野球の審判を年間160~170試合くらいやりました。野球と審判が大好きだったんです。
野球に関わることに何でも挑戦。「好き」を本気で極める大切さ。
高校時代は審判だけでなく、記録員やグラウンド整備、野球に関する色々な事を勉強しました。理学療法士を目指したのも、野球選手の怪我の予防や治療に関わりたいと思ったからです。その中でも、一番好きで、本気で極めたのが審判でした。好きなものを突き詰め、周りから飛び抜けた知識と技術を持てばトップに立てる。何事も中途半端では見えない世界があります。昨年、プロ野球の1軍戦デビューを果たした時は、「やっとここに立てた」と感動しました。観客や報道陣の数は2軍戦とは比べ物になりません。今までグラウンドの外から見ていた世界に、自分がユニフォームを着て歩いているのは不思議な感覚でした。
最初から審判を仕事にしたいと思う人は少ないかもしれません。私もそうでした。若い時は何でもいい、まずは挑戦してみることが大事だと思います。そして、楽しいと思ったらとことん突き詰めてみる。野球でも何でも、選手以外に様々な選択肢があります。まずは色々と試しながら本気になれる道を探してみてください。(写真/本人提供)
NPB日本野球機構 審判員
鈴木 宏基 氏
1992年生まれ。島田市出身。31歳。小学4年生からソフトボールを始め、六合中学、島田高校の野球部に所属しポジションは投手。中学から率先して塁審を務め、国際医療福祉大学進学後もアマチュア野球の審判員として活動。大学4年時にNPBアンパイアスクールを受講し、大学卒業後、研修審判員、育成審判員を経て、2019年より正審判員。プロ野球の2軍戦や1軍オープン戦の塁審、球審を経て、2023年4月26日のDeNA-ヤクルト戦にて三塁塁審として1軍戦デビュー。理学療法士の資格も持つ現役NPB審判員。