Go For It ! 大澤 歩選手インタビュー
バスケットボールを頑張ることは、人として成長するための手段。
VELTEX静岡 PG(#0)
大澤 歩選手
1991年、清水市(現静岡市清水区)生まれ。
清水八中、静岡学園高、専修大バスケットボール部を経て、2015年に広島ライトニングでプロデビュー。
2016年より香川ファイブアローズでプレー。
プロ5年目となる2019年、ベルテックス静岡に移籍した。
僕は6人兄弟(姉2人、兄3人)の末っ子で、バスケットボールを始めたのは兄たちの影響です。小学3年のとき、二つ上の兄と一緒に地元の「入江ミニバスケットボール少年団」に入団しました。そこでは、試合での勝ち負けよりも、競技の楽しさやチームメイトとの関係づくりを学ばせてもらいました。
学校が終わってからほぼ毎日のように少年団で練習していましたが、それ以外の時間もバスケットばかりやっていましたね。よく兄3人と2対2で対戦したのですが、僕は末っ子で身長が低かったし、当時は彼らと比べると技術も未熟だったので、誰も僕と組みたがらないんです(笑)。それだけでも悔しいのに、いざ勝負をしても、やっぱり勝てなくて……泣きながら家に帰ることもありましたけど、負けん気だけは強かったです。いつも、「いつか見返してやる」「絶対兄たちに勝ってやる」という気持ちでいっぱいでした。技術がどんどん磨かれていったのは、この負けず嫌いな性格のおかげでしょう。
小中学校時代から、県の選抜選手として全国の舞台でプレーする機会に恵まれました。トップクラスの選手の中には、同い年なのに190センチくらいある子も普通にいて、「全国レベルってやっぱりすごいんだな」と思いましたね。当時は背が高ければ選ばれるような風潮もまだ多少あったので、そこまで長身ではなかった僕は、「努力しても得られないもので評価されるなんて」と悔しさを感じたこともありました。でも、決してスポーツエリートではなかった環境のおかげで、誰に何を言われても、何が起きても、ちょっとやそっとのことでは動じないメンタルの強さが養われたと思います。
中学3年生のときに、ずっと僕のバスケットを応援してくれていた父が突然亡くなりました。それを機に、絶対にプロに行く、応援してくれていた父に天国からその姿を見てもらうと決めたんです。思春期だった僕にとってはすごくつらい出来事だったので、もしあのときバスケットの存在がなかったら、グレてしまっていたかもしれません。小さなころから一緒に練習していた兄たちも背中を押してくれて、「家族のためにも、中途半端なことはできない。もう逃げられないぞ」と腹を括ることができました。
その後、高校、大学と競技を続け、念願のプロ入りを果たしてからは広島と香川でプレーしました。そして、静岡を離れてちょうど10年たった今年、生まれ育った町で誕生した「ベルテックス静岡」に声を掛けていただきました。自分が小さかったころには、静岡にプロバスケットのチームができるなんて想像したこともありませんでした。それが現実のものとなり、そのチームが僕を必要としてくれている。家族や友達にもプレーする姿を見てもらえる。こんな嬉しいことはありません。
喜びを感じるとともに、自分がプロとして、地元の未来ある子どもたちに夢を与えられる選手になるんだという決意も抱いています。選手としてはもちろん、人として憧れを持ってもらえるようなプレーヤーにならなくてはなりません。
子どもたちに伝えたいのは、エリートではない僕のような選手でも努力すれば報われるんだということ。そして、人間力を高めることが技術を高めることにつながるということです。たとえば、小6の選手が小3の選手に強いパスを出したら、当然うまく捕れないですよね。思いやりがあれば、やさしいパスを出すことができる。実は、それも技術力なんです。いいパスを出したのに相手が捕れなかったとき、「なんで捕らないんだよ」と責めないことも大事。上手にプレーすることがいちばんではなく、まず人として成長するためにバスケットをやっていることを、みなさんも忘れないでください。
僕自身も、技術以上にプロとしての「覚悟」を大切にしています。僕より上手な人は、もしかしたらアマチュアでもいるかもしれない。でも僕は、プロとしてバスケットでメッセージを伝えていく。それによって、静岡のみなさんに希望を与えられるようなプレーがきっとできると信じています。
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