Go For It ! 岩崎 優 選手インタビュー

昨日より今日、今日より明日。
ちょっとずつでも自分を超える。

阪神タイガース 投手 背番号13 岩崎 優 選手

野球を始めたのは中学生からです。父も母も野球が大好き。母親はソフトボールの選手でした。私も小さい頃から野球が好きで、よく野球ごっこをしていたのを覚えています。でも、岩崎家では父親の方針で、小学1年~6年までは水泳、野球は中学からと決まっていました。小さい頃から肩や肘を酷使させたくなかったのでしょう。4人兄弟全員同じでしたから、特に違和感なく、中学生になれば野球ができるし、それまでは水泳を頑張ればいいぐらいの感覚でした。水泳の6年間が野球に生きているかどうかはわかりませんが、これまで肩や肘の大きな故障もなくプロ野球選手にもなれたので、結果として良かったのだと思います。その代り、暑いのがとにかく苦手で、中・高・大学と、熱中症にはよくかかりました。水の中から出てきた野球選手だからですかね(笑)。
私がいた清水四中野球部には経験者が少なく、左利きでしたから、一塁手や内野をやりながら、たまにピッチャーもやらせてもらいました。3年生では一応エースでしたが、球速は120㎞以下、勝った記憶は少なく、県大会にも行っていません。中学時代で一番覚えているのは、とにかくよく走ったことです。1年生の途中から、家に帰った後に全員コーチの家まで毎日走ることになって、郵便ポストに「来ました」という紙を入れるのです。最短だと割と短い道のりを「今日はここを通って来い」って。自分はそれを、365日、1日も休まず、卒業式の頃まで約2年半続けました。5~10㎞を1時間程度、台風の日も、大晦日も正月も、毎日です。もう日課のようになっていました。コーチからは「やれと言って、ここまで続いたのは1人もいない」と後から聞きました(笑)。物凄い厚みになった紙を、コーチはまだ持っていると思います。投手にとって大事な足腰は、そこで鍛えられました。私が今、当時の自分に声を掛けるとしたら、「もっと走れ」です。

高校は清水で一番の進学校、清水東高校に行きました。文武両道の学校でサッカー部も野球部も関係なく、入ってからが大変で補習も受けましたが、勉強もまあまあ頑張ったことは自分にとって大きなプラスです。高校時代は私の野球人生のターニングポイントでもありました。監督が色々な野球関係者を招いてくださり、高2の時、輿石重弘先生(昨夏、秋田の明桜高校監督として甲子園初勝利)の指導を仰いだのですが、投げるだけでなく、バント処理や牽制の大切さを教わり、とても視野が広がりました。「ボールを捕って投げる」動きがピッチングにもつながること、メンタルの重要性や配球など、とても勉強になりました。自主練でシャドーピッチングを毎日繰り返すようになったのも、輿石先生のアドバイスからです。私は人の話をよく聞く方で、そこから取捨選択をして、自分の腑に落ちるものだけを実行します。それは大事なことですし、その能力には少し自信があります。それでも、高3で130㎞台半ばの球速、最後の夏は2回戦負け。本気でプロを目指したのは、大学3年の頃です。
私が野球を続けてきた最大のモチベーションは、上のステージで野球をやることでした。中学の時は高校で頑張ろう、高校では大学、大学では社会人と。昨日よりも今日、今日よりも明日、もっと野球が上手くなりたいというのが努力の源であり、それはプロになった今も変わりません。例えば、昨日素振りを10回やったら今日は11回、そうやって今までやってきました。小中高生の皆さんに伝えたいことは、ちょっとずつでもいいから、昨日の自分、今日の自分を超えるための努力をすることです。勉強でもスポーツでも構いません。毎日毎日の積み重ねが、長いスパンで見ると、大きな成長につながります。中学生の頃は、まさか自分がプロ野球選手になって、日本代表選手に選ばれて、県民栄誉賞をもらうなんて、夢にも思っていませんでした。これからも、もっと上手くなれると信じて野球を続けます。やっぱり、野球が好きなんですね。

阪神タイガース 投手 背番号13

岩崎 優 選手

1991年生まれ、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身。4人兄弟の次男。清水第四中学で野球を始め、清水東高校を経て国士舘大学へ。2013年ドラフト6位で阪神タイガース入り。入団1年目の4月にプロ初先発初勝利をあげ、2016年途中から中継ぎに転向。下半身の粘りを生かした、球持ちの良い独特のフォームから投げる最速149㎞のストレートが最大の武器。2019年には14試合連続無失点を記録し、3勝0敗26ホールド、防御率1.01。2021年、日本代表として東京五輪金メダル獲得に貢献し、静岡県民栄誉賞を受賞。推定年棒1億5000万円。左投左打185cm89kg。

おすすめの記事

関連記事